コロナウィルスの流行で、家で過ごす時間が多くなっています。
1910年代に流行したスペイン風邪の歴史を見ますと、最初の流行では死者も比較的少なく軽症の人も多かったようですが、その後第二波、第三波の流行で多くの死者を出しています。当時、世界人口が20億程度であった時代に、4億人〜5億人が罹患し1億人程度が死亡したと推定されています。高名な社会学の祖マックス・ウェーバーもこのスペイン風邪で亡くなっています。
早期に治療薬やワクチンが出来ればいいのですが、エイズに関するワクチンが今でも無いように安心で安全な暮らしができるまで今暫く時間を要するのでは無いでしょうか。
今回のコラムでは、このような状況下を通じて「家」や「庭」の在り方を再検討してみたいと思います。
一戸建ての庭は、普段、草が生えたり、樹木が伸びたり、また、蚊や害虫の住処になったりと厄介な存在でもあります。一方、マンションなどの集合住宅は、鍵一つで防犯出来、合理的で快適な生活が送れますが、一日中家で過ごすにはやや息が詰まるような生活空間でもあります。
いずれにせよ現代の家は基本的に「核家族居住専用」となっています。率直に云えば、「家族が寝食するためだけの場所」と云えます。
そのため、家は機能的合理的に構成されます。寝室、台所、リビング、風呂、トイレ、クローゼット、物干しといった用途別に部屋が区分されています。いい意味で私たちは「無駄のない」空間で過ごしていると云えますが、一方で無駄のなさすぎる家で暮らしているとも云えます。近年、家は住居専用として機能を限定し、「箱」のような存在になってきたのかもしれません。そのため現在の家での、ステイホームの実態は、寝室かリビングで過ごすしかないのが実情ではないでしょうか。
昔の家はどうだったでしょうか。かつては座敷や中間、縁側といった普段あまり使わない場所も家の中にありましたし、「ニワ」と呼ばれる作業するための土間もありました。特に寒い地方では、この土間が広くとられ、寒い冬中、家中で仕事できる工夫が施されています。まさにステイホームです。昔の家は、食事をし、眠るだけでなく、作業や仕事、縁側でのコミュニケーションなど多機能に出来ていたと云えます。
庭の草を抜いてもまたしばらくすると草が生えます。また、樹木の枝を切ってもまた植物は繁茂します。庭仕事は無駄の連続だとも云えます。
それに、そもそもそんな無駄を発生させる「庭」自体が「無駄」の源とも考えられます。植物好きな方ならその無駄も「趣味」と言い切れば済みますが、それほど植物に興味のない人にとっては、庭の存在理由そのものを不思議に思われると思います。
「無駄」とはそもそも「効率的ではない」ということで、インプットとアウトプットに期待通りの成果がない状態だと云えます。「勉強したのに試験の成績が振るわない」「高価な材料なのに美味しい料理が作れない」こうしたことを私たちは、「時間の無駄」「手間の無駄」と呼びます。
しかし、私たちの暮らしは、効率性や合理性だけで出来ているのでしょうか。
庭は、字義で追えば、祭祀が行われた場所=廷(テイ)に繋がる一方、場(バ)という言葉にも繋がります。場という言葉は、「平らな空間」という意味になります。例えば、野球のバットを振る空間、ゴルフの練習をする空間も「場(庭)」となります。
やや拡大解釈すると、「人間にとって使いやすい平らな場所」を庭と定義してもいいかもしれません。
ウッドデッキを作ってBBQをしてもよし、太陽の下で昼寝もいいかもしれません。家庭菜園に挑戦してみるのも買い物の回数を減らすかもしれません。砂場を作ってあげたり、プールを広げてみたり、木陰で読書する空間も実は「庭」なのです。
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人間は、昔から役立つ、便利、安全という気持ち以外にもう一つの気持ちを追い求めてきた生き物だと云えます。
それは「美」です。これは、文化や文明は異なっても、世界各地で行われてきた庭作りの深い心情です。合理性や効率性だけで人間は心の幸福を得られないことを知っていたのかもしれません。庭は世界各地で「美を求める心」を養ってきた場所でもありました。
そして庭の中で取り扱われる「美」は、現代の「芸術」という高尚なものから、誰でもが参加出来、実感できる「美」まで、どのような美も参加できる場所です。
バラの美しさを感じた人が、バラを植えることのできる場所でもあります。菜園でナスの花の美しさを発見したり、新緑のモミジの葉の色に感動できる場所でもあります。庭は、日本人が花鳥風月の中に世界を感じてきた「もののあはれ」を感じさせてくれる空間でもあり、「美を求める心」が動く場所ともいえるでしょう。
ステイホームは、私たちが日頃忘れていた自分たちの「暮らし」をディスカバリーする良い機会になるかもしれません。また、私たちが大切にすべきものを再認識するきっかけになるかもしれません。
特に一戸建ての家をお持ちの方にとっては、「無駄」の産物であった「庭」をどのように使えば「ステイホーム」の良い材料になるのかを再考される良い機会のなるではないかと思います。
家中にあって不要なモノを庭に移し、家中をより広く使うのも一つ。家庭菜園への挑戦や子供が安全に遊べる工夫、ストレスの発散のためのバスケットボールのネットを設置するのも面白いかもしれません。新緑に燃える若葉や小鳥達の囀りに目や耳をあずけ、慌ただしい日常では気づきにくい「ささやかな美」を探求するのにも良い機会なのかもしれません。
それらは、全て、皆様にとって大切なご自分の「庭」であると思います。
投稿日:2020/05/19