現在、庭と外構は別々に捉えられています。両方を内含する言葉としてエクステリアという言葉もありますが、この言葉も具体的イメージを持ちにくい解像度の低い言葉となっています。
外構を定義すると、フェンスやアプローチ、駐車場、カーポート、駐輪場、物干し、生垣、通路などが含まれ、一方、庭は植物などがあるほんの装飾的な場所に過ぎません。現在の家で言えば、庭の占める場所はごく一部に過ぎません。
歴史的に振り返ると、平安時代。例えば、現在私たちイメージする庭は「嶋」と呼ばれ、敷地のほんの一部分でした。一方生活に利用する、現代で言えば自転車置き場や物干し、駐車場などは「屋戸」と呼ばれていました。
このように考えていくと、「実用性」「実際性」のある場所を外構、実用性はないけれど装飾的で精神的要素が含まれる場所を「庭」ということができるでしょう。
昭和にあった「お屋敷」はそういう意味では、たっぷりと庭が作られ、敷地的にも精神的にも豊かさと余裕のある邸宅であったと言えます。
現在、近隣の家との距離が近くなり、敷地も狭小化する中で「外構主体」の家作りが進められていると言えます。お客様も「家作り」主体となり、庭や外構はどうしても「後回し」になりがちです。屋内に集中したインナー思考が主体ともいえます。しかし、実際暮らし始めてみると、屋内だけでなく屋外も含めた家の敷地全体のデザインが必要なことにお気づきになる場合が多いです。
具体的には、ただフェンスやブロックで敷地を囲うのでなく、「遮蔽されているか?」という問題があります。家のフロアー高は大抵地面より50cm程度高いため、リビングから道路が見える、隣の家の窓が気になるなど、なかなかカーテンを開けにくいことがあります。つまり、屋内の暮らし方も屋外のデザインで随分変わります。自由に暮らしを楽しむためには、家全体のデザインが必要なのです。
しかし、実は「狭い敷地でどのように楽しむか?」という問題は現代だけの問題でなく、過去にも起こっています。それは、室町後期から戦国時代、安土桃山時代に大成した「お茶庭」です。お茶は元来屋内で愉しむものでしたが、次第に屋外に進出し、武野紹鴎から始まり千利休で完成される屋外にある「茶室」に至る庭です。
当時堺の市街地で発展した茶庭は、広い敷地を持てず、路地を「露路」として庭に取り込みひとつの世界観を完成させました。茶庭は「使う庭」ですので、雪隠と言われるトイレや蹲(つくばい)と呼ばれる手洗いなどが用意されています。
そして、こうした実用性を兼ねながら亭主の趣向をこらした「わび」空間という世界観を完成させています。つまり、実用性と庭的世界観を狭い敷地で表現しているのです。
ここでは「庭」と「外構」という区分は随分不明確になっていきます。両方の機能を引き出して「ひとつの世界」を完成させる手法だからです。
屋内での暮らしやすさが屋外で決まるという例を先ほど示しました。それ以外にリビング前にウッドデッキを付けることによって部屋が広く感じる。また、屋外へ出やすくなる。また、屋外に物置を作ることで、室内収納が広く使える。通路にゲートを設置することによって、犬などのペットを自由にさせること、また、子供を自由に外で遊ばせることなど、家の中と外を同時にデザインすることで暮らし方は大きく変わります。
そして、茶庭に見られるように、これらをバラバラに考えるのでなく、「我が家」らしくトータルに美しくデザインすることで家への愛着も増します。植物もただ植えるだけでなく、こうしたトータルデザインの視点から植えられると、シンボルツリーといった「孤立」した存在でなく、家の一部として美しさをより発揮すると思います。
お茶庭を昔の庭としてでなく、現代に通じるひとつのサンプルとして見ていただければ有り難く思います。
投稿日:2024/07/25