フィトライフのガーデンデザイナーが考える「暮らしのための庭つくり講座」 Vol.2
庭とはいったいどこまでを指し、外構(エクステリア)と何が違うのでしょうか?現代の家ではこの区分はやや不明になっています。
例えば、門柱は庭でしょうか?正確にはこれは外構に分類されます。駐車場も外構です。では、生垣はどちらでしょう?正確にはこれも外構です。通路の整備も外構。カーポートも外構です。塀や柵も同様です。このように考えると、庭と呼ばれる空間は実に小さいというのが現代の家だといえます。そこで庭のような外構がデザインされてきて、両者の区分は不明瞭なものになっています。
家で暮らす方にとって、外構と庭を区分することは重要なことではありません。平たく言ってしまえば、外構も庭も、「家以外の自分の敷地」と理解されることが重要です。
その空間を使ってどのように暮らすのか?自動車は何台置き、自転車は何台必要か?洗濯物をどこで干し、物置は必要なのか?それを家以外の敷地のどこに配置するのが便利なのか?そうした、「空間」としての理解が必要です。
庭はスタイルで捉えられる傾向があります。大きくは「和風」「洋風」などの言葉から、「純和風」「モダン和風」「ナチュラル」「雑木」・・様々なスタイル論があります。服装の好みに似ています。多くのお客様が、このスタイルで悩まれます。では、このスタイル論はどこから来たのでしょうか?簡単に推論として記述いたします。
まず、「和風」という言葉は、「洋風」という言葉が前提となっている言葉です。多分、「洋風」という言葉がなければ「和風」という言葉も発生していません。明治期以前には日本の庭を「和風庭園」と呼ぶことは当然なく、山水や泉林という言葉使われています。実際、和風と言われる庭の中身も、枯山水式庭園、池泉回遊式庭園など歴史と共に多種多様なスタイルがありひとくくりにすることはできません。
歴史的な順番に簡単に整理しますと以下のようになります。
平安時代 | 寝殿造りに対応した浄土式庭園 |
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鎌倉時代 | 書院造りに対応した書院式庭園、禅宗の広がりに対応した枯山水式庭園 |
安土桃山時代 | 茶の広がりに対応した茶庭や路地、戦国大名のための城郭庭園 |
江戸時代 | 大名のための回遊式大名庭園 |
このように庭は、自律的に発達したのではなく、宗教や文化、建築様式の変化に対応して発達してきました。
この中で、私たちが最も身近に感じる庭園は、書院造りに対応した書院式庭園だといえます。書院造りとは、簡単に言えば書斎のある家、いわゆる座敷を中心にした家のことです。こうした家は、今でも普通に存在しています。家の南側に座敷とする広間を作り、そこで、お客をもてなす座視型庭園です。鎌倉時代から現代まで続く日本の建築形式で、その息の長さには驚きを感じます。
この庭で重要視されることは、「もてなし」です。お客様が座敷に座り、眺めることを前提に庭は設計されます。そのため、家の人が日頃 使用することはなく、清められた形で管理されます。私たちが一般に庭という言葉から想像する庭はこのようなカタチではないでしょうか?
日本の庭は、宗教的背景やおもてなしを重視しているため、一般に清らかな空間として、日常的に使用することを前提に作られていません。柳田國男氏によって見出された、ハレとケ(ハレは晴れ着のハレ、ケ着とは、普段着のことです。非日常と日常とお考えてください)の概念で言えば、日本の庭は、非日常の庭であり、独特の空間です。外国の方々に賞賛して頂くのもこうした独自の空間感にあると思います。具体的に日本の庭には以下のようなものはありません。倉庫、水道栓(見える形で)、ゴミ箱、遊具、物干しなど。もし、これらがあったとしても、家の裏や脇に隠されているでしょう。そうした毎日の暮らしに必要なものは一切排除されています。実際、このようなものが見える日本庭園では、見る方も無意識に興ざめされるでしょう。
このように、私たちの文化は、庭から暮らしを排除することによって、ある特有の世界観を培ってきました。
但し、お茶庭には「用の美」という考え方あり、お茶事を行うために必要な、腰掛待合など美に包まれながらも機能性に着目した庭もあります。
一方、こうした日本的庭空間の使い方に対して、「日本人はソトでの暮らしを愉しむことが下手」と言われてきたのも事実です。BBQをしたり、菜園や花作り、木陰のベンチで休むこと。こうした「日常」を上手く庭に取り入れていないとも言えます。
では、私たちの庭はどのようなものになっていくのでしょう?
まず、スタイルを考える前に、ご自分の家のカタチを考えましょう。戦後核家族化により、家の造りは大きく変わりました。現代の家の中心はリビングと言われる家族のための部屋が中心となっています。和風庭園(書院式庭園)を支えてきた座敷は和室という名になり、家の中心から外れています。庭は自律的な存在ではありません。家が「家族のための建物」に変化したことに伴い、庭も家族のためのものに変化して行く必要があります。庭の主人公が「お客様から家族に」替わって行こうとしています。
つまり、家族のための庭つくりは、以前のような様式(スタイル)の問題ではなくなります。家族が好きなもの、暮らすために必要なモノを様式未満の感覚・テイストで包むような形態になります。それは和風・洋風と区分されるものでなく、自由で、自分らしく暮らしを支えるものを考えることになります。ひとりづつ、ご家庭づつ、存在するものになります。
投稿日:2016/10/29